сряда, 26 февруари 2014 г.

「引用禁止」を引用

上野千鶴子講演:「ジェンダー・セクシュアリティ研究に何ができるか」 この講演の全文を、上野教授の許可の下、公開します。なお、引用は一切、許可できませんのでご注意ください。 講演の公開はあっぱれなことだ。でも、引用って、いつでもどこでもフェアユースじゃなかったの? 誰も議論できない公開文書に、何の意味があるの? Wednesday, February 01, 2006 オンライン・ストレージ・サービス比較 Michael Arrington が有益なオンライン・ストレージ・サービスの比較をしている。 比較されたサービスは以下の通り: - AllMyData - Box.net - eSnips - Freepository - GoDaddy - iStorage - Mofile - Mozy - Omnidrive - Openomy - Streamload - Strongspace - Xdrive 上記サービスの中から、Michael Arrington が選ぶベストなサービスは OmniDrive: オーストラリア発の OmniDrive が機能面で明らかにリードしている。Box.net と Streamload もいい選択だろう。 上記 3 つのサービスはすべて無料、 API を公開(あるいは予定)していて、アクセスコントロール(好きな人だけに公開したり、自分専用にしたりできる)の機能がついている。Streamload は 25 GB というすさまじい(「アグレッシブな」)容量。まだ日本語にはどれも対応してないみたい。 オープンソースに一番力を入れているのは Openomy かな。 Tuesday, January 31, 2006 『ウンコな議論』の訳者解説へのクレーム 日本から送ってもらった『ウンコな議論』が届いた。ハリー・フランクファートという哲学者のひとが「ウンコな議論」(bullshit)とは何なのかをネチネチと議論している本だ。「ウンコな議論」と「ウソ」はどうちがうのかとか、そういうのに興味がある人は読んでみると面白いかもしれない。僕は解説目当てで買ったのだけれど、本文もわりと面白かった(←なんか間違っているような気もするが、まあいい)。 ただ、僕はある事情があって慣れているから平気だけど、この哲学っぽい文体になじめない人も多いと思う。訳者解説も、それを受けてかいつもより固めになっている(もっとも、「いつも」がどんな感じかを知らない人には関係ないけれど)。ただ、それでもすごく読みにくいというものではないし、この種の文章にしては読みやすい方だと思う。それに、なんと言っても短い。本文は 50 ページぐらい。その後、怒涛の訳者解説が本文と同じぐらいある。 で、本題。訳者解説に 1 つ文句がある。とはいっても、それは「大事なところで読者に判断を委ねるとか言って逃げてるんじゃないか」とか「反知性主義のところおおざっぱにまとめてあって荒い議論だなぁ」という表面的なものではなく、もっと切実なものだ。でも、これは同時に山形浩生さんを責められる類のものでもない。65 ページの、フランクファート教授の進路選択の部分だ: あれもやりたい、これもやりたいと考えて、なるべく選択肢を捨てずにすむような道に進みたがるのは、ありがちな発想であろう。しかし、そのようなつぶしの効く進路を考えた結果として、この世で一番つぶしの効かない分野である哲学なんぞを選ぶとはこれいかに? 考察するだけなら、別に「哲学者」などにならずとも十分に可能なのでは? 本当に申し訳ないけど、これに対する僕の見解を述べる。 そういう大事なことは、あと 3 年早く言うべきだ。 Thursday, January 26, 2006 GMail に削除ボタンが欲しいという心理 一発削除ボタンがやっと追加になった件 僕は GMail に乗り換えてからメールを一度も削除していない。削除する必要がない。今だいたい容量が 2.7 GB あって、これからも増えていくだろうから、死ぬまでに受け取る E メールをすべて合計しても充分過ぎるほどの容量があると言っていい。スパムもかなりの精度でシャットアウトするし、アカウントもいくつでも取れる。削除ボタンなんてたぶん必要ないはずだ。ボタンがなくても、削除自体はできていたし。 ちょっと前の 6 MB の Yahoo メールを使っていたときは勝手が違った。容量が少ないせいで、人間が「えーと、このメールは残して、これは消して…」というのを考える必要があったし、容量の大きな画像を送ってきたやつには「おい、あんなん送ってきたから容量パンクしてなんか警告でてるやんけ!」という怒りのメッセージを送る必要があった。人間がテクノロジーに合わせていた。 テクノロジーの進歩によって人間は少しずつ自由を獲得する。今はメールを消さなくていい。画像を送ってこられても怒らなくていい。そうやってテクノロジーは、いろんなしがらみから人間を開放してきた。ちょうど印刷機の発明が手で本を書き写す手間から人間を開放したように。 Google は「メールを消す」という行為を葬り去って、過去のものにすることができたはずだったのに、どうして多くの人が削除ボタンを欲しがったのだろう。その背後にある価値観はなんだろう。 GMail の大容量は、メールを削除することを考えなけりゃならないという拘束から人間を開放してくれるはずじゃなかったのか? ………みたいなことをうれしそうに言うやつがいるが、特に削除ボタンが邪魔になるわけでもないし、便利と感じる人がいるならあっても別にいいんじゃん、使いたくなきゃ無視しなさい、という説もあるから、話半分で聞いたほうがいいぞ(←いつものこと)。 Friday, January 20, 2006 とってもクールなイリュージョン とってもクールなイリュージョン ぐるぐる回っているピンクの点を見ると、ひとつの色--ピンク--だけしか見えない。真ん中の黒いプラス(+)を見ると、ピンクが緑に変わる。今度はその+に集中してみよう。ちょっとすれば、すべてのピンクの点が徐々に消えて、ラッキーな人はただ緑の点だけがぐるぐる回っているように見えるだろう。脳の働きってすごいね。ホントは緑の点なんてないし、ピンクの点は実際には消えたりしないんだけど。僕達が見ていると思っているものをいつも見ているわけじゃないってことだよ。 ほんとにクール。 Monday, January 16, 2006 統一されたプロトコルはいいことでは? 最上さんの「統一病」の説明: なにかいい物を知るとそれを広げたくなる。これは普通。で、それを良いと思うあまり、「これだけで世界を埋め尽くそう」とか「これ以外の物を全て抹殺したら理想の世界が実現できる」と考えはじめると「統一病」である。 宗教やイデオロギーの分野だけでなく、コンピュータのプログラミングパラダイムやOSや言語、プロトコルなどのプラットフォームでも良く見られる。 僕は、プロトコルなんかにおいては統一したほうがいいことがたくさんあると思う。例えば手紙の書き方。アメリカでは左上に自分の住所を書いて、真ん中に相手の住所を書くというプロトコルがある。「そんなのイヤだ、僕は僕の好きなように書くぞ!」と頭の悪いやつが決まったプロトコルに従わないと、郵便局員のひとや手紙の受取人を困らせる。 車は道路の左側/右側を走りましょう、というのもプロトコル。例えば都道府県や州ごとにこのプロトコルが違ったりすれば、事故が増えるだろうし、恐くて運転できなくなるひとが多いんじゃないかな。 <アメリカの手紙の書き方のプロトコル>や<日本で車が道路の左側を走るというプロトコル>が優れているかどうかはわからない。でも、それとは別に、統一されたプロトコルを持つのは大事だし、困る人を減らすことができるはずだ。つまり「このプロトコルで統一したい」と「プロトコルをひとつに統一したい」というのをわけて考えましょう、ということ。最上さんの文章では、ちょっとそれがわかりにくい。意図的なのかもしれないけど(いいとも悪いとも言ってないからね。でも、「病」だからあんまりいいこととは思ってなさそうだな、って感じはする)。 僕は後者には賛成することがよくある。例えば僕はパソコンの文書ファイルを OpenDocument(odf)に統一してくれたらいいな、と思っている(odf より優れたのがあるならそっちで)。みんなが共有できるフォーマットで文書を管理する方が合理的じゃん、みんなもそうしようよ、と思っている。これは病気だろうか。もし病気なら、僕は少しぐらいは病気になった方がいいと思う。 Sunday, January 15, 2006 出版社や物書きがする 11 のダメなこと おお、ブログのエントリみたいだ。 なんかアマゾンのレビューとか評論家や学者の人たちの文章を見ていると何度も同じことが繰り返されてるような気がするのでちょっとまとめてみる。 参考文献・ソースがない 新書であろうと何であろうと情報のソースを示すべきだと思う。翻訳書では参考文献がよくカットされるらしいけど、紙の上で問題があるのならネット上でもいいから公開してほしい(ネット上のソースも最近は多いだろうから、ネット上にあるのはわりと合理的。紙に載せる場合でもネット上にもあった方が有益な場合もあると思う)。 絶版になったものが読めない 売れなかったのだろうけど、少しは読みたい人がいる。そのぐらい公開すればいいのに、と思う(うーん、寄付では、どうなんだろ)。まわりまわって出版社の得になることもあるでしょうに。図書館とかがなんとかすべきだな。 翻訳の質が悪い 翻訳機にかけたものをそのまま載せました、みたいな翻訳書がたまにある(ほとんど読まないけど)。ネット上での趣味の翻訳なんかはしょうがないにしても、お金もらってやってる人がそれではダメでしょう。 サポートページがない 目次やおおまかな内容、誤植や間違いの修正、あと議論するための掲示板なんかがあるといいのになと思う。「紙の上ですべてが完結している」という間違った発想を持った出版社/著者が多すぎる。 誤植・紛らわしい表現が直っていない やたら誤植がある本を見ると「あぁ、出す前に誰も読まなかったんだろうなぁ」と思う。「大先生」が書いた本はたいてい紛らわしい表現のオンパレード。誰にも批判されずに生きてきたんだろうなと思う。 端に余白をとっていない 文庫本ではきびしいけれど、がりがり書き込むための余白があるとうれしいな。 索引がなってない たぶん TeX とかで自動生成するとこうなるんだと思う。「そんな語句で探す奴おるかっ!」とか「これ載せてないのはあかんやろー」とぶつぶつ言いながら該当箇所を探すことがよくある。分厚い本の必要な部分に素早くアクセスできるようにするためにあるんだから、ここも推敲して欲しい。 脚注が読みにくい所にある いちいち本の最後の方までとばなきゃいけないのは面倒。例えば『クルーグマン教授の経済入門』の脚注なんかはすばらしい(この本はいろんな<おまけ>がついていて翻訳書として理想的だと思う)。 タイトルが内容を表してない 本でもメールの件名でも掲示板のスレッドでも、一般的にはタイトルを読んだだけで内容が想像できるものにして欲しい。ちょっと余談だけど、質問掲示板で「教えてください(*^^*)」みたいな件名をよく見かける。教えてほしいから書き込んでるんだろうが! お前は鳥類か何かか((C)切り込み隊長)。 科学系の本で縦書き どう考えても横書きの方が向いている本が縦書きになっているのは、そういう需要や陰謀があるからなのだろうか。僕は特に縦書きが読みやすいとは思わないけど、年寄り連中はその方が読みやすいのかな。 難しい漢字にルビがふってない 基本的には使わないで欲しいんだけど、もし使うならルビをふって欲しい。ときどき子供向けの本でそうしてないのを見かけて辟易(へきえき)する。 うーん、これを見ると本がネット上にあるというだけで解決される問題もいくつかあるな。出版社がいつまでもこのままでいられると思っていることが、もしかしたら一番ダメなことなのかもしれませんなぁ(←よくあるオチだ)。 デザインには制約がある 力学の法則に反する建物を設計してはいけない。O (オウ)と 0 (ゼロ)の見分けが付かないフォントや、印刷してかすれてしまうロゴを設計してはいけない。自らの利益のみを追求する人ばかりが得をする法律を設計してはいけない。 デザインには制約がある。制約を守らないものによいデザインはない。 見にくかったフォントを変更 ライセンスが微妙らしいけど、Mac の osaka フォントをいじった osaka.unicode フォントを Fedora に入れた。もう最高です。蝶・最高。いろんなものがきれいに表示されるようになった。 Windows の MS ゴシックよりもきれいなので、「Macの見やすいOsakaフォントをWinで使おうプロジェクト」なんてのもある。いいなぁ、Mac の人は。Windows は次期バージョンから Meiryo というフォントになるらしいけど。 このサイトのフォント設定も serif から sans-serif に(どうしてデフォルトでそうなってないのだろう)。アルファベットは Bitstream Vera Sans Mono にした。うん、このほうが読みやすい。嫌いな人はブラウザの設定で変えられるし、問題ないでしょ。 Fedora Core 4 上の Emacs で Bitstream Vera Sans Mono フォントが使いたい人は、Fedora JP 掲示板に行くべし。 Russian Climbing の衝撃 Reddit で話題になっている Russian Climbing のビデオ。忍者は実在するのだと痛感する。